30年近く前ですが大学生の頃の話です。私は静岡県の清水市(現在の静岡市清水区)に住んでいました。当時のJR清水駅は反対側のホームへ出るのに地下道を通る方法と 高架を通る方法がありました。私は
「このどちらを通るかで その人間が『苦あれば楽ありを選ぶか 楽あれば苦ありを選ぶか』 の考え方がわかる」と、言っていました。つまり最初に高架は登り階段で後は下り階段、地下道は最初は下りで楽だけど後は上りで苦しいという意味でした。結構私はこの考えが気に入っていて 友達にも話したりしていたのですが ある時遊びに来ていた友達とその彼女にこの話をすると 彼女の方は
「鈴木さんらしい考え方ですね。」といってくれたのですが 友人は
「俺は地下道を通るよ だって 地下道を通った方が数えたら 階段が2段少なくてすむから、同じ所へ出るならその方が賢いだろ?」と言われました。「えっ?」と思った私に友人の彼女は
「貴方はだから理科系人間なのよ、鈴木さんは文科系の人間なの」と言われ
「あっ そんな考え方があるんだ。」と知りました。彼女は国立大の文学部にかよう学生でした。
別のときにこんな事がありました。その彼女が教育実習で小学校へ行ったときの「道徳」の授業でこんな文があり「鈴木さんはどう思う?」ときかれました、内容は正確には覚えていませんが
「体育の記録会がありました。長距離走の時A君が走り始めましたが 急にお腹が痛くなり走れなくなってしまいました、するとB君が駆け寄り 励まし一緒に走りました。そのまま走っているとA君も段々具合が良くなり ちゃんと走れるようになりました。ゴールが近づいた頃に今度はB君が体調が悪くなり 走れなくなってしまいました。この時にA君はどんな態度を取るべきなのでしょう?」といった内容でした。皆さんならどうしますか?
その時の私の答えたのは「やっぱり、今度はA君が励まし一緒に走ってあげるのが 美しい姿じゃないのかな。」と言ったような気がします。すると これを横で聞いていた前述の友人が
「それは 絶対におかしい、これは『体育の記録会』なんだろ、記録会はその生徒の今の体力を計るものだからB君が最初に助けたのも、これからA君がB君を助けたとしてもどちらも本来の目的ではない、だからB君はそのままゴールするのが本当だ。」と、言ったのでした、決して彼は冷たい人間ではなく どちらかと言えば人情的な人間なのですが 考え方は 私とかその彼女とは違いましたね。
「だから貴方は理科系人間なのよ。」彼女にまた言われても 彼は考えを変えるような事はありませんでした。
例えば 妥協案的に「ゴールが近いのなら一旦A君はゴールして その後戻ってきてB君を励ましゴールするのはどうだろう。」と考えてはみたものの 小手先だけで根本的な解答ではではない様な気がします。
私には 小学校に通う息子がいます、今の所こんな文には出会っていませんが もしまだあるなら その時はどんな答えを息子にしようかと考えています。まぁ道徳に正解はないのかもしれませんけどね。

